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温泉保養地環境

温泉保養地における環境(空間)のあり方

杉尾 伸太郎
NPO法人健康と温泉フォーラム 常任理事


1.はじめに

 世界の人口は爆発的に人口が増加すると云う有識者の考え方であり、それに対して、この10年疑問を提してきたところであるが、我が国は人口の減少に転じ、すでに本格的な少子高齢化社会となっている。中国や東アジア各国についても既にそのような状況に少しづつ向かっている。このことは、かつてヤンケロビッチが云ったように、心理的に抑制の時代へ入りつつあるとともに、生態学的にも食糧・エネルギー・土地その他からホモサピエンスの独専的な支配の時代に既に陰りが見えてきたと共に、その発展を約束していた科学技術の進歩も人口をこれ以上増加方向にささえ得る発明が難しいことを示しているものと思われる。

 一方ネット社会の到来は人口をささえるものでなく、むしろ減少を促すものとして情報が伝達される可能性が高くなって行くであろう。

 このような時代の流れにあって人々の要求は個人としての健康と快適と安全への高まりを一層強めて行くものと考えられる。

 温泉保養地における役割もまた、このような人々のニーズに対応したものでなければ当然、見捨てられる方向にならざるを得ないであろう。このような大きな流れから見て温泉保養地やリゾート地の本質は何か、をもう一度充分検討する必要がある。

 宇沢弘文によると社会的共通資本は自然環境と社会的インフラストテクチャー、制度資本の三つのおおきな範疇に分けて考えられるとし、自然環境には、河川、森林、土壌、水、大気など、社会的インフラストテクチャーとしては道路や建築物などで、制度資本としては教育・医療・司法・金融などで、これらの構成によって地域ができ上がっているということである。

 さて、今まで日本の社会は、温泉保養地においてさえ、これらのバランスが崩れ社会的共通資本の自然環境に対して、一方的にしわよせを与えてきたのだと考えている。したがって今後の温泉保養地においては失った自然環境の再生と創造による地域の資産価値の向上が最重要であるといえよう。今までの温泉保養地における空間作りにおいては、正に社会的共通資本としての自然環境を全て忘れた、あるいは無視した開発方式であった。このことは日本全国の空間構成についてもあてはまることであり、バブルの崩壊は社会的共通資本の歪みから発生した隆起と陥没の地震のようなものともいいかえられよう。このために発生した地域の資産価値の減少、国富の減少は著しいものであった。鬼怒川温泉、熱海温泉などで典型的に見られたものといえよう。今後、地域、特に温泉保養地における資産の向上を期待するならば、長期にわたり、自然環境という社会共通資本にも手を入れて少しづつでも修復することにより、健全な地域空間構成になるよう計画的に進める必要がある。

 私は熱心な街作りや、美しい街作りは高度な資産形成の目的を合わせ持つものであることを本質的に有しておくことが最も大切であると考えるのである。

 リゾートの本質は日常から離れてたのしむことにあり、一方リゾート地の本質は日常の生活や個人の別荘における『褻』つまり、ふだんのあるいは私的な空間から『晴』の空間での目立ったふるまいに生きがいを求める人々に場を提供することにある。もちろん現在ではレジャーが長期化するなどの時代の流れの中で非日常に日常が、晴に褻がもちこまれ混在することとなろうが、本質を見失うとリゾート地の価値を失ってしまうであろう。それらの位置関係を図にするとこのようになる。この図から非日常であり、晴である場の区分、即ち左上の区分が休養地の発展する条件になるものと考える。では、非日常であり、晴の条件とはどんなものであろうか。





これらを表に示すと次のとおりである。まず、非日常の条件は解放性を示すものであり、緑が多く豊かな自然、優れてた景観、豊富な温泉、立派な文化財、仕事や雑用から離れるなどで具体的に表される。次に晴の条件であるが、認識や行動の目的となるもの、つまり客体性を示すと云えよう。例えば、ホスピタリティを感じる場や自宅にない超豪華な夢の施設、コンセルジュや地域観光情報の多さ、交通の便などの便益性、学習とその成果が披露できる場などが掲げられる。

非日常であって晴の場合の条件



 最近観光に係わる知識人の中でも非日常性を観光の本質とせず、日常こそ本質であると主張する人が増加し主流となりつつあるが、このことは観光地や温泉保養地のありかたについて大きな失敗をもたらすこととなろう。なぜなら私達日本人を取り巻く環境はコンビニ、量販店、ガソリンスタンド、ファーストフード店、マンションなどの外部空間であり、どこにでもある。

草津マンション

 鉄・アルミ・ガラスからなる現代的な町並みが、雑然としながらも多少は豊かになって存在している。地方や場末では、安普請の木造モルタルの建物が狭い土地に軒を連ねる町並みが、いまだに典型的な日常風景であり、そのような外部空間が少しずつ改良されたとしても、観光行動はさらに一層すぐれた外部空間を求めて非日常の空間で行われるのが本質であろう。

 確かに温泉保養地においてもコンビニやガソリンスタンド、マンションが建ち並ぶ景観が一般化しつつあり、観光客自身が安易に求めて利用するとしても観光地としての外部空間のあり方として、将来の勝ち組みに入ることはあり得ないと断言したい。

 しからば温泉保養地としての環境(外部空間)は如何にあるべきかを論じよう。

 温泉保養地としての外部空間は非日常的な場 scene(セーヌ又はスケーヌ)が大切であるといえばよいだろう。

 人々の日常的に活動する場はかつてそれだけでも様々であり、その地域の内部あるいは周辺をとりまく自然環境を含めると多様な環境であった。現在それが商業・流通・情報などによってユニバーサルな環境になりつつある。一方ではハンデキャップを有する人々、特に老年化に対応した対策を進めなければならない。他方では、その地域の自然や文化の個性を大切に、それを基盤にした特色ある人間的な街作りが必要であり、今までの成功例はすべてこのような点から及第に達した地域などであろう。例えば湯布院温泉や黒川温泉などが成功例と云われている。

 しかし中には草津のように、和の伝統の温泉街の中にスイスやドイツのようなヨーロッパ風のデザインがもちこまれたうえで、なお人気を有するなど、なかなか一筋縄ではいかないものがある。しかし、優等生の温泉保養地においても全国画一的なコンビニやファーストフード店の進出、地元の和に対する洋の進出などソフトを含めて景観にユニバーサル化の波が津波のように押し寄せてきているのもみてとれる。

 しかし、基本的な骨格として第1に地域の自然環境を充分に把握した景観作りであること。第2には地域の文化的・歴史的な背景をふまえた景観つくりでなければならないこと。第3には第1、第2のためには若干の利便性も犠牲となることもありうることが最も重要なポイントである。次にそれぞれのポイントについてさらに重要な指摘をしておきたい。


2.自然環境を把握した景観作り

 多くの人々の居住する都市地域では現在、急速に宅地の面積の狭小化が進んでいる。即ち、この数十年間にその面積は1/2以下になり、さらに減少に向いつつある。この現象は、比較的自然の豊かな地方都市、例えば宮崎市や、長岡市などでも1ロットあたり60〜70坪ぐらいに低下しており、都心においては25坪以下の分譲地なども現実に存在している。

 したがって、これらの現象から見ると我が国においては、全国的に都市の住宅地は極端に庭がなくなっており、世界の標準に比べると1ロットあたり1/2〜1/4程度の宅地しかないうえ、公園や街路樹も少ないので日本の都市には緑がないか、あっても人々に潤いを与えてくれる充分な量と質から著しくかけ離れている状況にある。

 そのために温泉保養地における最も重要な計画は緑を町にとりこむこと、周辺の緑を保護することにつきるのである。そのことが日常の環境からあこがれの非日常の世界へいざなう大きなポイントになる。

小さな庭
 導入の手法は個々の旅館・商店・住宅などの建築物が、それぞれ充分な敷地のゆとりを有することと、庭を作ることが第1である。第2には廃業となったレストラン・ホテル・旅館・ドライブインあるいは廃校(多くの学校が統合され廃校となった校舎やグランドの使い道が決まっていない)、その他不要となった施設の公園、庭園、自然再生化である。これが温泉保養地における″自然再生プロジェクト″とでも云うべきであろう。かつて過密に成立した温泉保養地に緑のクサビを打ち込む必要がある。

 まとまった緑のクサビは中心部にセントラルパークとして打ち込みたい。ここを軸に南北に、東西に、斜めに広げたいものであるが、中心となる広場には近景あるいはディティールに重点をおいた庭園的ランドスケープデザイン手法を用いた公園として花、芝生、水などを充分管理を行なう前提で高度な造園技術により整備すべきである。周辺は自然の生態を応用した手法により粗放な管理により、むしろ自然を復元していくようにしたい。これらには生態学的手法を充分取り入れた造園技術となるだろう。

個々のホテル・旅館にも広い庭園が作れれば、それに越したことはないが、無理な場合でも坪庭を作るとか、対岸の緑を借景にする、あるいは視線を遮る作庭をするなどあらゆるテクニックを駆使すればよい。

ビクトリア
 街路樹や法面、壁面の緑化、街路にハンギングバスケットを用意したり、窓辺に花鉢をおくなど、あらゆる努力が必要である。すなわち街がすべて庭園となるよう整備を図り、つまりは「ガーデンスパ」とでもいうべき街作りがなされることが望まれるところであろう。地形や地質、気候などを踏まえて計画に取り入れることはいうまえもない。

 周辺の緑については、その森林は風致林施業により管理されるべきであり、紅葉、黄葉を楽しんだり、花の名所として、あるいは新緑をめでるなどの視覚的効果のほか、森林内を散策するコースはマイナスイオンやフィトンチットによる森林浴効果が期待できるし、エコツーリズムとしての活用も期待できる。

 さらに上流の奥山については、できる限り施業を長期的に目的化して地域で取得しておくことが望ましい。例えば治山治水目的や水源涵養の目的である保安林としておくことにより温泉保養地への災害を防備し、温泉保養地における温泉源や水源を確保し、渓流の美しさや渓流における魚類・ホタル等の生き物のために大いに役立つこととなる。

 なお、地域の文化財の修復や大型木造建築の改築のためにも百年不伐のヒノキの森などがあってもよいであろう。
湿原散策


3.文化・歴史的背景をふまえた街づくり

 一般的にすべての計画の中には文化・歴史をふまえてというが、単なるうたい文句になっているにすぎない。街づくりのデザイン・コンセプトとなるのはどの時代のものを取り入れるのか、その理由は何か。その文化の深さは地域を代表し世界や日本に誇りうる水準にあるものかなどを、よく評価してから具体的には取り入れるべきである。

 例えば、ある温泉保養地では歴史的記念物を中心に据えて景観のあるべき方向づけ、ネットワークの構築、デザインの骨組み、ベンチマークの対象とする時代、その時代の自然の姿、本来の地形やアプローチ、その時代の他の建物や利用のされかた、周辺の環境、庭園、庭園における植栽等々についても出来得るかぎり詳細にデータがほしい。その結果にもとづいて景観構成や街づくりの計画が立案されるべきである。

霧島神宮

 特に街づくりの核となるべき文化財については、できるだけ最も栄えた時代にむけて、専門家の指導により発掘等の調査を充分すすめたうえ、近年における適切でない増築物や工作物はとりのぞき、美しい姿をとりもどすべきである。

 例えば、いわき湯本温泉では近くにある白水阿弥陀堂とこの庭園が復元されて成功している。この場合は国による修復は一応終わっているが、かつてさらに壮大であった周辺をふくめ、地域環境の整備を行えば、その評価はさらに大きく地域にプラスの影響をもたらすものであろう。今後一層の努力による環境の総仕上げにより第一級のシンボルとしての核にしたいものである。


3.景観創造・街づくりにおける優先順位と利便性との兼ね合い

 景観創造や街づくりにあたっては、自然や文化に学びつつ、地元の人々が信念をもってやりとげる必要がある。

 そのためには土地の買い上げや植栽の復元には優先して取り組む必要がある。それに要する費用についてはその温泉保養地100年の計と考えて最優先ですべきであろう。観光で生きるという明確な目標を持つ場合なら当然であろうし、そうでない場合も観光にかぎらず他の分野においても地域の魅力を喪失して何をやってもうまく行くことはないであろう。

 また景観を保全し、自然を守り、文化財を保護するにあたってはなにかと不便さもでてくる。

 例えば車の乗入れ規制や土地の分筆の制限、広告物の規制、建築デザインのガイドラインによるコントロール、風俗営業の禁止、禁煙地域の設定など多くが掲げられよう。これらについては入湯税などの利用や不動産取得税を目的に応じて返還するなどの制度を設置してでも対応を図らなければならない。法や条例の適応よりはむしろ住民協定で行うのがふさわしい場合もあろう。したがって住民相互のコミュニケーションが重要となってくる。


4.温泉保養地に於ける資産価値の向上を図る景観形成の手法

 具体的な施設整備のデザインは今後どのようにあるべきかをここで論じておきたい。

 温泉保養地に求められる景観としては、先に述べた非日常性で晴の場としてのセーヌが他の地域との意合を勝ち抜くためには、必要不可欠の本質であることはすでに述べたとおりである。また、温泉保養地の資産価値が少しづつでも高まることも、結果として生ずることとしてではなく、目的としてまた、様々な手法によってでもその方向を選択して歩まなければならない。その努力をやめた時に温泉保養地としてのブランドを失ってしまうこととなるのであろう。

 そのためのデザインの方向性は図Aのような4つの要素が大切であると考えている。

これからのデザインの方向
1つは調和(Harmonaized)であり、周辺の植生地形などの自然環境・文化財・町並などと調和するべきである。
 例えば象徴的な山のシルエットに合わせた屋根勾配、崖のテクスチャーに合わせたフアサードの構成、スカイラインを切らない建築位置の選定や高さの制限、特別な場所をのぞいて、その地域に生育する樹木の高さよりも低い屋根高の制限地域を設けること、河岸、段丘や海岸段丘の先端部へ突出しない建築、クローネ高ぎりぎりの展望台と植生のコントロール、既存の建物で優れた文化財などのデザイン要素を取り入れた屋根材や勾配、ファーサード等々に配慮することが大切である。

 さらに、クライストチャーチのように敷地の街路からの一定のラインまで建築制限を設定することや敷地の角地における一定範囲におけるすみ切りをした部分での制限、つまり敷地の角地ぎりぎりまでは建てないなどの制限もありうる。

 フランスの都市計画の手法のように文化財の範囲辺、数百メートルを建築制限を行い高さ、素材、デザインの制限を行うことも考えておく必要がある。

統一

 第2に統一(ユニフォーミティUniformity)としては、高さや壁面線の統一の他、棟の方向の統一、屋根の形状、ポーチの形状、門の形状の統一も必要である。素地や色についても意外重要で、屋根、壁、戸、窓、サッシに至るまでイギリスの田園地域のように統一する場合もあってよいだろう。

 広告物の大きさやデザイン、字体、配置も重要な要素で黒川温泉では成功している。
山と橋

          黒川温泉
ブロック塀は地震の際に危険であると同時に景観的にもマイナスが多い、生垣に切り替えるための補助制度を有する地域も多数見られる。駐車場は景観に及ぼす疎外感が高く、環境的にも影響が多い。駐車台数を犠牲にしてでも樹林の下で日陰の駐車スペースを作り、周辺は必ず植栽帯や生垣で区切り、駐車位置の舗装面についても芝草で緑化する手法がある。

 第3には温泉保養地において壮観(Spectacle)な場所はシンボルとして、その軸緑や環境を大切に扱う必要がある。

山と湯布院

 社寺建築、庭園などの文化財の他、孤峰としての山岳、岩峰、滝、渓流、美林、巨樹、などがそれらの対象となる。そのために周辺の扱いについては、特別な制限や配慮が、その特性に応じて付与されねばならない。特に壮観を強調するような彫刻、構築物、道路、階段、植栽、街路樹、池、流れ、噴水などで軸線を強調しながら遠近法などの手法を用いて慎重に整備する必要がある。

 この様な壮観対象は時間をかけて生まれたものや自然のものであることが多いのでこれから人工的に作ることはコストの上からなかなか難しい。したがって既存のものを守り育てる考え方が基本である。特に巨樹については数百年数千年も生き続けてきたのであるから地域内では最重要な壮観の対象として扱う必要がある。そのため充分な広さや枝や根に対する保護が充分に行われなければならない。

 第4にエコロジカルな視点からの建築材料つまりは自然素材をなるべく利用したり、省エネルギー、新エネルギーとしての工法や設備についても考慮する必要がある。

 さらに高齢化を踏まえて、一定の地域についてはユニバーサルデザインによるバリアフリー化等の対応を当然考えるべきである。

 さて、重要な事でなかなか対応が困難であることはマイナスの要素を取り除くことである。

 様々な活動においてプラスへの活動は比較的とり易いものであるが、マイナスになるものの除去は誠に困難である。

 例えば地域内の主眺望方向にある高圧送電線や鉄塔、あるいは温泉保養地内にある電柱やトランス、電線その他のケーブル等々は、かつてイギリスのシルビアクローがワイヤースケープと云っていた景観を阻害する最たるものである。

 シルビアクローのイギリスでは地中化が進み、あまり気にならなくなったが、我が国ではなかなか進まない。電力料金に上乗せしてでも早急に電線の地中化を行うべきである。視的ストレスの解除が温泉保養に及ぼす効果や地震などの災害時にも生命財産に及ぼす影響を少なくできるものではないだろうか。

 また、バブル以前に強引に建設した高層マンションやホテル旅館ですでに廃業に至っているもの、ドライブイン、売店で廃止となっているもの、廃車やゴミの集積、風俗営業の看板、崩れかけたブロック塀 、カラフルで安価な舗装、不用な公共建築、又は低劣な彫刻や橋や道路部分へのペインティング等々枚挙にいとまがないほどである。何とか行政と地域の人々の協力によって、これらのマイナス要素を取り除くとともに自然再生を行うか、広場を作ったり景観的にプラス方向へ転じるよう行うべきである。
京都ワイヤー

 また、景観計画により数十年かけて少づつ行うことも一方では考えておくことも現実的な解決である。


5.おわり

 景観のコントロールは非日常的空間を創造して観光客を招致するために必要不可欠な手法であり、今後の地域の100年の計のためにも今から取り組むべき施策である。また地元の人々の自立によって専門家が加わることにより立案することが必要なときであり、行政はそれに対して費用を優先して負担すべきである。
 地元で数人のリーダーシップを発揮する人が出現して、成功した湯布院温泉のように専門家を上手に利用しながら全力で取り組んで行ってよい課題である。
 その結果、温泉保養観光客の増加があり、地域の個人、会社の資産価値が高まり、結果として地域全体の資産価値も高まるため投資も増加してさらなる積局投資ができることとなるのである。このような経済環境の中にあって一層の行動力が発揮されることが期待される。

 さて、1834年にピュックラー・マスカウの著した゛造園手法゜が出版された。彼が生涯をかけて残した温泉保養公園バートマスカウは第二次世界大戦でドイツ、ポーランドの両国に分断されたが2004年世界遺産に指定された。その推薦のため2003年幸いにもイコモスのグループの一人として参加する機会を得ることができた。彼の個人的な努力でできたこの公園はまさに光と影によるハーモニーの公園ということもできようが、その後の歴史も光と影のあやなすものであった。今や世界遺産として永久に保護されることとなったことは、ピュックラーの努力とそれを守り抜いた人々の力が世界の人々に認められたことを示すものである。

バートマスカウ
 



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