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日本の温泉地再生への提言 [57] -第2グループ 学者・専門家・団体

温泉科学の普及と温泉地の再構築

由佐 悠紀
京都大学地球熱学研究施設



日本の温泉の現状及び問題点
―賦存量の観点から
 まず、火山性温泉について述べる。温泉の水そのものは、ほとんどが天水起源の循環水である。日本列島では、降水量の約1/3が地下水になり、その一部が温泉水になるので、ある温泉地で単位時間当たりに生成される温泉水の量は有限である。この生成量が温泉の賦存量であり、これを超える採取が続けば、温泉水圧の低下をはじめとする、一連の温泉枯渇現象が進む。
現在の日本では掘削温泉が増加し、動力を用いた揚湯泉も増えている。さまざまな温泉資源保護対策が講じられているが、それらは温泉井間の距離、井戸口径、単位時間当たりの揚湯量の制限などであって、揚湯時間の制限は、筆者の知る限り、行われていない。すなわち、ある温泉地の賦存量に基づいた開発や保護対策はなされていないのが現状である。賦存量の評価(水収支評価)は非常に困難であるが、今後の開発・保護には、賦存量の観点に立脚した、温泉地ごとの総量規制の概念の導入が必要となろう。
近年、深い掘削によって得られるようになった温泉の多くは、非火山性温泉である。その温泉水は地下深部に貯留されている地下水であって、新たに生成されることはないものとみなすべきである。非火山性温泉地にあっては、埋蔵量の評価に基づく採取計画が必要である。
温泉地の再生のあり方
―温泉賦存量に基づく温泉利用
わが国が近代化される以前、人々は自然湧出の温泉を、その自然状態にわずかな手を加えることで、利用してきた。その時代の温泉利用は受動的なものであって、温泉水利用量は、賦存量の範囲内に止まっていた。無意識のうちに、自然との調和が図られていたのである。すなわち、かつての温泉地の姿は、人間が自然と一体化して作り上げた、文化度の高いものであった。
ところが、明治の初期、上総掘りなどの人力による掘削技術が導入され、能動的な温泉利用が可能なことに、日本人は気づいた。とくに太平洋戦争後の技術革新は、当然温泉にも波及し、温泉需要の増大に応えるため、掘削技術と採取技術を発展させて、各地で温泉開発を進めてきた。
 先に述べたように、ある温泉地における温泉賦存量は有限である。しかし、この概念が、理解されてきたとは言いがたいように思われる。これまで、少なからぬ温泉地で進行してきた、さまざまな形態の温泉枯渇現象(自噴量の減少、自噴停止、泉質の変化、泉温の低下等々)は、賦存量を考慮しない開発の結果であって、賦存量への理解の欠如あるいは浅さに起因していると言っても過言ではない。
別の面からみれば、こうした開発は、経済高度成長期の多くの日本人が望んだ温泉利用、すなわち、大型施設での大量な温泉水の使用に応えようとするものであった。これもまた、温泉文化のひとつの形態ではあろう。しかし、先人が培ってきた、賦存量に基礎を置いた温泉文化とは、対極をなす異質のものである。筆者にとって、この新しい温泉文化は、異様であり、なじめない。
賦存量の概念が一般に普及していない第一の理由は、温泉水は天水起源であることが明確となってから、日が浅いことであろう。第二の、そして現実的な理由は、各温泉地における賦存量の評価が必ずしも容易ではないことである。しかし、近年、たとえば大分県においては、県の事業として賦存量調査が実施され、その結果に基づいた保護地域の設定などの施策が講じられている。温泉地の再生・活性化を考えるに当り、その基礎として、賦存量に対する理解を深め、その評価が行われることを期待したい。これは極めて公共性の高いものであり、国や自治体の主導によって推進されるべきものと考える。

修学旅行の適地としての温泉地の再構築(温泉科学の普及、とくに子供たちへ)
温泉の持つ地球科学的意義への理解は、残念ながら非常に低い。地球科学的に温泉が研究されていることさえ、あまり知られていない。筆者が住んでいる別府温泉のように、有名で規模の大きい温泉地であっても、そこに展開している温泉現象のメカニズムに関する知識を持っている人は、意外に少ないのである。
かつて温泉地は修学旅行の有力な候補地であった。筆者も中学の修学旅行で別府温泉に来たし、昭和40年代頃には実に多くの修学旅行生が別府の町を歩いていた。現在、当時の面影は無い。おそらく多くの温泉地がそうであろう。このことは、子供たちが、教育の場を通して温泉を知る機会が、少なくなったことを意味する。温泉地の子供たちも、事情は同じであって、学校で郷土の温泉のことを教わることはほとんど無いようである。(最近、状況が変わりつつある気配が感じられるが。)
修学旅行が温泉地に向かわなくなった理由を筆者は調べたわけではないけれども、教育的見地から、歓楽型の温泉地は修学旅行には不向きと判断されたものと想像する。こういう状況に立ち至ったのは、温泉に関わるすべての人の責任であろう。
地震・火山活動など地球内部に原因をもつ自然現象の中で、人間が親しく接触し、楽しむことのできる現象は、温泉だけである。しかも、温泉を通して、地球内部で進行している現象を垣間見ることができる。いわば、温泉は地球の中をのぞく窓であり、温泉地は野外における理科教育の場として、優れた条件を潜在的に有しているのである。この優れた条件を生かし、教育的効果を高めることができれば、温泉地は再び修学旅行の地としてよみがえるのではないかと期待する。そのためには、温泉を科学的に観察できる場の整備、観察結果を整理し考察する施設の整備および指導者の育成が必要である。たとえば、温泉地全体を温泉観察フィールドとして整備することである。他方、そうした観察・整理・考察するための素地を作る基礎教育の充実も必要である。
これらには、温泉地の人々の意識に加えて、国の教育システムや自治体の文化施策が深く関わっているのは言うまでもない。温泉観察フィールドでの学習は、いわゆる理科離れ状況の対策ともなり、温泉地の活性化だけに限らず、わが国が目指す科学技術創造立国の実現にも貢献するはずである。
温泉地の真の意味での活性化は、温泉に親しむ心を持つ人口の増加なくしてはありえないと、筆者は考える。そのためには、日本の将来を担う子供たちに温泉の面白さを伝えることが重要であり、その具体的で実現可能な方法が、修学旅行の適地としての温泉地の再構築であると考える。そうした温泉地は、生涯学習の場として優れた機能をもつ保養地でもあり得るに違いない。


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