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日本の温泉地再生への提言 [15] -第1グループ 旅館・温泉地リーダー

日本における温泉文化の底力

首藤 勝次
(長湯温泉)大丸旅館 代表取締役


 長湯温泉は大分県のほぼ中央、九州アルプスと呼ばれるくじゅう連山の東山麓に位置する。旅館は国民宿舎を含めて13軒と小規模な温泉地ではあるが、その歴史は古く豊後風土記にもその名を認めることができる。
 泉質はマグネシウム・ナトリウム炭酸水素塩泉と純炭酸泉の2種類で、温域は31度から52度までと幅広く、泉源数は40本を越える。特徴的なのは、すべての泉源が炭酸成分を多く含んでいることで、その濃度も700PPMから1200PPMと高濃度である。温泉地の中心部には清流芹川が流れ、四季折々に魅力的な風景を楽しませてくれる。
 平成元年からは炭酸泉を共通の財産にしたドイツとの温泉文化交流が始まったから、この歴史ももう15周年を迎えることになる。すでに380人もの町民が海を渡り、ワインをはじめとする貿易事業もすっかり定着した。そして、平成10年にはそれら運動の象徴とも言うべき温泉療養文化館「御前湯」(町立)が完成した。この施設には年間15万人もの利用客が訪れているが、その活力が外湯めぐりの文化の再構築に大いに寄与している。

 さて、近年よく温泉地の再生が話題にされる。日本国有の温泉文化とも言うべき「湯治」の文化を削ぎ落とし、経済最優先の手法として歓楽型の温泉地づくりに猪突猛進してきた日本の温泉地だったが、バブルが崩壊し、経済的にも精神的にも静かになってみると、歴史や文化の重要性がより強く感じられるようになったようである。これは非常にいい傾向であると私は思っている。なぜなら、それらを基軸にしたエネルギーによってこそ、温泉地の真の個性が育まれていくと感じるからである。
 経済の発展のみにしか価値観を見出すことのできなかったこれまでの歩みの中で、画一化と大型化がもたらせた震撼とした結末を反省できなければ、温泉地の本当の魅力は再構築できないとも感じるからである。
 しかし、気になることがある。ここに来て、日本の温泉地は手法こそ異なれ、また同じような発想で画一化されようとしている。挙って、療養、保養と唱え始めたのである。
 前大分県知事、平松守彦氏が唱えて全国、いや世界に広がった精神運動に「一村一品運動」がある。ローカルにしてグローバル。地域固有の特性や潜在能力を発掘して世界に通じる一品づくりをしようとする運動である。一口に温泉といっても、泉質は千差万別、また涌出する環境や地域の伝統・文化もさまざまなはずである。だとすれば、自分達にしか築けない個性を見出し、育て上げる志が何より大切なのではないか。いままた一村一品運動の精神が思い起こされなければならないようである。
 ヨーロッパの温泉地が規模の大小にかかわらず、それぞれに魅力的なのは個性や固有の文化を意識してきたからではなかったか。
 歓楽的な温泉地があってもいいではないか。その一方で、療養一筋の温泉地があっても、自然環境や景観を重視した温泉地があってもいいではないか。一番大切なのは"自分たちらしさ"を意識して構築することである。魅力的な温泉地づくりに関しては世界的な先進国とされるヨーロッパ。そこには「自分達にしか創出のできない個性を誇りにする。」気概が満ち溢れているということを言い添えておきたい。

 そこで、最も大切な役割を果たすのが、日本の場合、行政である。観光地や温泉地を育てようとするとき、行政が大きな役割を担っているというのは先進地のヨーロッパに目を向ければより明らかである。その場面における日本の力量はどうだろう。残念ながら2流どころか3流にも達していないと思う。その原因は何か。行政の中に観光のプロがいないということである。わずか3、4年で異動していく体制の中では、温泉のことはもちろん、ホテル経営のことも、自然環境整備のことも、まして地域個性の創造なんていう大命題に対応できる力量など備わるはずがない。
 こうしたことから、私は県政に対し「総合力で対応できる横断的組織作り」を提言した。これにより大分県ではこの4月から、これまでの観光部局に国際交流、文化振興、土木企画、地域づくり、人材育成などを統合させた「観光地域振興局」が新設された。加えて、県内のさまざまな地域戦略を支援するサポートセンターも開設された。
 最終的にはドイツのバーデンバーデン市のように、この観光地域振興局が街並み整備から環境保全にいたるまで、世界に通用する力量を発揮できるようになることを期待しているところである。
 そして国においても、国土交通省の中に観光部があるのではなく、観光省なるものを独立して設置していく方針を検討してもいいのではないかと思っている。そうすれば、ビジット・ジャパン・キャンペーンなどの国策ももっと具体的成果を上げていくはずである。
 ところで、これらの流れに呼応して地方、もしくは地方行政で取り組まなければならない課題は、民間団体の育成である。行政だけでは現場のエネルギーを掘り起こすことは難しい。だから、地域に潜在する企画力、実践力を政策として生かしていくために、観光協会などの民間組織をしっかりと育て上げることが肝要である。そうすることによって、国や県の観光政策が地方の隅々にまで浸透していくのである。地方行政の観光に対する温度差も解消できると、私は期待している。この民間組織の育成には私なりに妙案があるが、紙面の都合もあることから、またの機会に譲りたい。

 さて、今、私が最も高い関心を寄せているのが、温泉地における長期滞在システムの再生である。同じように、農村においてグリーン・ツーリズムの導入が研究され、実践される傾向にある。わが大分県にあっては、安心院町(あじむまち)が全国的にもグリーン・ツーリズムの先進地として認知されているところであるが、農村と都会の交流、農村文化の体験などが誘客手法として強調されると、いつの間にか、受け皿としての農村が心身ともに疲弊してしまう恐れもある。肝心の農作業よりも、都会人を楽しませようと過剰サービスに時間が費やされ、疲れ果ててしまうか、さもなければ民宿化して客人の奪い合いになってしまうのである。その背景には、日本の社会環境が欧米ほどに余暇を十分に楽しむ環境にないこと、さらには時間が与えられても、自分の力で有効に楽しむ手法を知らない日本人があまりにも多すぎるということにある。そもそもの原点は、「土地に住む人々が自分たちの日常生活や生産の場に誇りと自信をもっていること。そして、その姿や暮らしぶりに都会の人々が憧れて自由に滞在を楽しむ」というところにあったはずである。つまり、この誇りと憧れの還流するエネルギーこそが温泉地を活気づけ、農村を元気にしてきたということを忘れてはならないと思う。
 そうして考えてみると、欧米のもつシステムに日本が追従する方向性が正しいか。否といわざるを得ない。特に、日本の温泉地には、遠い昔から、「湯治」に代表される温泉文化が生み出され、世界のモデルになってきたはずである。今風に言うならば、B&Bの滞在施設が小規模ながら多数存在し、滞在客は外湯をめぐりながら、自炊の材料を買い揃え、湯上りの焼酎などを楽しんできたものである。温泉地の路地裏には、郷土料理のお店が軒を連ね、滞在客は飽きることなく、好きなメニューを楽しんだ。地産地消、農村直販システムの原点は、この頃からすでにしっかりと育てられていたことを知らなければならない。
 「入浴ほど安価で楽しいものはない」、放浪の俳人と呼ばれた山頭火の言葉にこそ、経済戦争に疲れた日本人が求める旅のやすらぎの原点があるのではないか。
 天恵のすばらしい温泉と、手付かずの自然、そして「仕掛け」ではなく「暮らし」の見える素朴な長湯温泉に、全国から年間70万人もの交流人口が訪れていることをここに書き添えておきたい。
 自分たちの足元を見つめ直すことのできる、静かな、いい時代が到来したと、私はいまそう思っている。


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