NPO法人健康と温泉フォーラムは医療、環境、施設等、温泉保養地に関わるあらゆる分野における専門家を中心とした団体です。
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十津川温泉 とつかわおんせん

(浴用)創傷 火傷皮膚病
(飲用)慢性消化器疾患肝胆道疾患 糖尿病痛風 肥満症など

<所在地>奈良県吉野郡十津川村小原
<交通>近鉄八木駅から特急バス4時間
<泉質>含食塩重曹泉

温泉療法医がすすめる温泉 中島大
(橿原市久米町中島診療所所長 近畿大東洋医学科教室/内科 神経科/医 学博士)

明日に希望の灯を掲げながら・・・・・・
若者達にひと頃「温泉なんて古くさい」と言われたものが今は変ったようだ。距離的に遠く滅多に行けない秘湯というか古い温泉にどれだけ数多く行ったかが自慢のタネで2人から3人、気の合ったグル−プ旅行がちょっとしたブ−ムになっている。奈良県のはずれ、和歌山県境にほど近い十津川温泉もその一つである。十津川村は琵琶湖とほぼ同じ、奈良全県の約1/5の面積というから、こと広さでは日本一でっかい村。行政的には村だが警察の本署を持ち独立の県立高校もあって   スク−ルバスを兼ねた村営バスが走っている。エンジンをかけ発車間際のバスに、別のバスから「時間だが××さ行くお客さんが一人乗ってるで、ちょっこら待っててくれや」という無線が飛び込んだ。すでに乗っていた客の一人は「俺ら2人○○さんとこさ行くので家の前で停めてくれ・・・・・・」、運転手さん「さっきもそこで停めたんだ○○さんで何かあったのげ・・・・・・」、何とも微笑ましいのどかな会話だった。

温泉バンザイの保養地
十津川温泉を推薦した中島大(たけし)先生に話を聞いた。地元の人たちは京阪神から車で4時間余では、ちょっと足の便が悪くて・・・・・・と言っているが、これがいいんですよ。近年環境、環境と言われているが、環境には自然と人工の二つがある。都会はすべて人工だが、十津川には都会にない、またどんなにお金をかけても到底作れない大自然がある。距離的に遠いということは、従来の1泊2日型の休養から2泊、3泊またはそれ以上の滞在型保養にうってつけで、それだけのんびり気分に浸って温泉のよさを知ることが出来る。   温泉は注射や手術で直接病原菌を退治する方法と違い、温泉のもつ作用で身体の機能、つまり抵抗力や調節力を高めて侵入して来た病原菌と闘う力をより強めるためのもの。薬でよくある副作用や外科治療で起こる欠落症状などの心配が全くない。また転地効果による開放感、清浄な空気、豊富な紫外線などで日頃のストレスなどは雲散霧消する。十津川は「こうした温泉本来の、あるべき姿をそのまま保持している素晴らしいところ・・・・・・」と激賞した。

よう来たのら・・・・・・。おおきにありがとう
十津川には湯泉地(とうせんじ)、十津川、上湯(かみゆ)とそれぞれ泉質の異なる三つの温泉があり共に清流十津川(新宮川)べりにあって湯量は豊富。上流の湯泉地は秘湯の一つ、また上湯は何の飾りもない野趣満点の露天風呂がポツンと1つ。付近の河原はシ−ズンともなればキャンプ場となって若者や家族連れの賑やかな歓声がこだまする。3年前、村では第三セクタ−でこれら温泉郷の中核となる"昴(すばる)の郷"を作った。昴にはジェット風呂、サウナ、打たせ湯、寝湯、露天風呂など様々な入浴が楽しめる温泉保養館をはじめ、体力づくりの25m温水プ−ルやテニス、ゲ−トボ−ルなど出来る多目的グランド、また宿泊用ホテルも併設されている。熊野木材の森林王国だけにこれらの建物は総て見事な木造作り"すばる吹き折れ"と呼ぶ生活の知恵から生まれた紀州独特の軒屋根が美しい。村の真ん中を十津川がくねくねと蛇行しているので橋が多いことでも有名。大小とり交ぜて80本もあり、うち50余本が吊橋、中でも谷瀬の吊橋は長さ約300m高さ50mでスリル満点。歩道専用の吊橋としては日本一という。変ったものでは"野猿(やえん)"と呼ぶ橋の代わりをつとめる乗り物がある。川の両岸にワイヤ−ロ−プを張って、やかたを乗せロ−プを自力でたぐりながら向こう岸に渡るという原始的な設備で、若者達に大ウケしている。猿が木枝のつるを渡って行くのと似ていることからこの名がついたという。幕末の頃、十津川郷土の活躍は華々しいものがあった。"天誅組"と言えば知る人ぞ知る・・・・・・である。勤王の志士で、御所警護を勤めていたのだが、朝廷に政変が起こって逆賊となり非運の道をたどった。   悲劇と言えば、明治22年の大水害による山津波で、村は壊滅的打撃を受けた。一夜にして村の1/3の人たちが田畑もろとも、住む家まで失い、見知らぬさい果ての地、北海道へと移住した。今ならたった一日の行程だが、別れを惜しんで後ろを振り返り振り返りして歩くゾウリ履きの幼な子の手を引いての旅。7カ月余かけてようやくたどり着いた"新天地"で待っていたのは想像を絶する寒さと飢え、それに熊との闘いだった。何もかも第一歩からの村作り、汗と涙で築き上げたマチ、北海道樺戸郡新十津川町がそれである。村役場庁舎前に津田フキ9歳の像がある。少女の像は北海道を向いて立っている。また新十津川町役場前に同じ津田フキが、生まれ育ったふる里、南の十津川村に向かって立っているという。碑文には「残るも行くも明日に希望の灯を掲げながら・・・・・・」と書かれていた。"北へ行く旅人たち"と題する新十津川物語は、北海道開拓の先駆者となった十津川村の人たちの苦難と栄光の根性ドラマである。主人公の少女、津田フキは"第2のおしん"でTVドラマ化の話も出ている。「おおきに、また来てくれえらよ・・・・・・」心なごむこの言葉に大きくうなずいて帰路についた。
 
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